日蓮 良観(忍性)

奇跡の陰謀論Ⅱ この国の真相は役人天国だった 事実をもとにウラを暴くブログ

事実をもとに再構築この国の真相は役人天国。役人の悪を隠す既存の陰謀論ブログ。覚醒した民衆こそ本当の王者、もしも日蓮が平成の時代によみがえったら何を考え何をするのか?答えはここにある。

日蓮と良観(忍性) 陰謀論者の才能もあった日蓮

読了までの目安時間:約 14分

 

 

陰謀論はバカにされる風潮がありますがなぜだか分かりますか?

 

支配者側にとって都合が悪いからですね。

 

極悪人が尊敬されるような世の中は変えていかなければなりません!

 

 

ウキペディアを見るといまだに尊敬されている良観(忍性)ですが

 

日蓮は痛烈に批判しているんですね。

 

言い方を変えると日蓮は陰謀論者の才能もあったってことですね。

 

忍性 - Wikipedia

 

しかし実像はこうなんですね。

 

良寛さんは鎌倉時代の名僧として有名ですが、反面、権力と結託して暗... - Yahoo!知恵袋

 

以下引用

 

shuukyo_kunさん

2010/7/818:03:05

良寛さんは鎌倉時代の名僧として有名ですが、

反面、権力と結託して暗躍したという説があります。

善悪どちらの良寛さんが真実ですか?

補足

失礼しました。忍性良観です。

目次

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2010/7/819:10:14

あなたが質問されている人とは鎌倉時代の「良観」では。
どちらの人ですか。
それによって回答が違ってきます。

鎌倉時代の人。

 

忍性(にんしょう、建保5年7月16日(1217年8月19日) - 乾元2年7月12日(1303年8月25日))は、

鎌倉時代の律宗(真言律宗)の僧である。

房名(通称)は良観。

父は伴貞行(後に叡尊教団の斎戒衆となり慈生敬法房と名乗った?)。

大和国城下郡屏風里(現奈良県磯城郡三宅町)に生まれる。

良観であれば、権力者と結託をして私腹を肥やし、

日蓮大聖人を迫害した坊主です。

聖愚問答抄上 476ページに次のような記述もあります。

今の律僧の振舞を見るに

布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とす教行既に相違せり誰か是を信受せん、

次に道を作り橋を渡す事還つて人の歎きなり、

飯嶋の津にて六浦の関米を取る諸人の歎き是れ多し

諸国七道の木戸・是も旅人のわづらい

只此の事に在り眼前の事なり汝見ざるや否や。

布絹・財宝をたくはへ利銭・借請を業とする。
高利貸しなどをして、教行既に相違せりとありますね。
また、道を作っても通行料や六浦の関米などを取っていて、

民衆は苦しんでいた事がわかります。

また、次のようにもありますね。
旱魃で雨が降らないで困っていた時、

良観が雨を降らす「祈雨」を行うというので、

日蓮大聖人は、

「良観が雨を降らすことができれば良観が正しい事を認めよう。

過去においても祈雨で正邪の決着を付けた故事がある」と申し入れたので、

良観は喜んで祈雨を行ったのに、雨が降るどころか、

流れ落ちるのは良観たちの涙や汗ばかりで、

かえって旱魃の土地に風だけが吹いて民の苦しみはいよいよ増加した。

日蓮大聖人は使いを三度も送って、
「泉式部という女性は和歌を読んで雨を降らすことが出来た。

このように雨を降らすのは簡単である。

そんな簡単な祈雨が出来ない者が、成仏などできるはずがない。

一丈の堀を越える事ができない者が

二丈三丈の堀を越える事など不可能ではないか。

私のところに来なさい。

雨を降らす方法と成仏する方法を教えよう」

そう言うと、良観たちは悔し涙を流した。

 

頼基陳状 1158ページ

良観房悦びないて七日の内に雨ふらすべき由にて

弟子・百二十余人・頭より煙を出し

声を天にひびかし・或は念仏・或は請雨経・或は法華経・或は八斎戒を説きて種種に祈請す、

四五日まで雨の気無ければたましゐを失いて

多宝寺の弟子等・数百人呼び集めて力を尽し祈りたるに・七日の内に

露ばかりも雨降らず其の時日蓮聖人使を遣す事・三度に及ぶ、

いかに泉式部と云いし婬女・能因法師と申せし破戒の僧・狂言綺語の三十一字を以て忽にふらせし雨を

持戒・持律の良観房は法華真言の義理を極め慈悲第一と聞へ給う上人の数百人の衆徒を率いて

七日の間にいかにふらし給はぬやらむ、

是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者

二丈三丈の堀を越えてんややすき雨をだに・ふらし給はず

況やかたき往生成仏をや、然れば今よりは日蓮・怨み給う邪見をば

是を以て翻えし給へ後生をそろしく・をぼし給はば約束のままに・いそぎ来り給へ、

雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ七日の内に雨こそふらし給はざらめ、

旱魃弥興盛に八風ますます吹き重りて民のなげき弥弥深し、

すみやかに其のいのりやめ給へと

第七日の申の時・使者ありのままに申す処に・良観房は涙を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる

ベストアンサー以外の回答

zoprlmgeqさん

編集あり2010/7/907:00:05

何事も双方の言い分を吟味して判断するべきですね。
しかし忍性は著作をほとんど残していません。

『梅原猛、日本仏教をゆく』(朝日新聞社)より、

 

日蓮は、怨敵調伏の祈りをして、

幕府の信望を得ている忍性を仏敵と誹謗したが、

忍性は日蓮を幕府に訴え、

それによって日蓮は

龍の口で首を 切られようとしたと【日蓮側では】伝える。

しかし忍性はそれについて【何も語らず、真相はよく分からない】

 

忍性に関する多くの研究には、日蓮と祈雨を競ったことのみが記されていて、

忍性はほとんど日蓮を無視していたように述べられています。

また、「性公大徳譜」(忍性の伝記)には

まったく日蓮のことは出てきません。
伝統的な旧仏教の範疇にある忍性からみたら、

新興の日蓮は取るに
足らない存在と見ていたのかもしれません。

 

日蓮の言ってること(忍性に関する事実)は、

あまりあてにならない。とは、あの中村元博士の見解です。

以下、中村元著『奉仕の精神』より、

 

『本朝高僧伝』の伝えるところによると、

『池上の日蓮、しばしば悪言を
出して (忍)性を謗りて以って律国賊と為す。

(忍)性は意に介せず、其
(=日蓮)の 罪に陥るに及んで

却って宥を平師(北条時宗)に乞う』という。

 

師蛮はこの論争 に対して客観的な第三者の立場にあり、

史家として叙述しているから、

『本朝 高僧伝』の記述の方が実情に近いのではなかろうか。
(中略)よくいえば日蓮は

信念に燃えていたから自信たっぷりだったということも
できるかも知れない。

 

しかしこういう心理状態でなされた記述が

どこまで忍性に関する事実を伝えて
いるかは、はなはだ疑わしいと思う。<<

 

中村氏は、客観的な資料に基づくとして論を展開しています。

では、ここから名僧としての忍性を見ていきたいと思います。

https://www.eonet.ne.jp/~libell/t-ninsyou.htm

>忍性は奈良に我が国最古の救癩施設「北山十八間戸」を創設した
>歩けない重症患者を背負って毎日未明に町へ出
>物乞いをさせ、夕方再び背負って帰り、生活を成り立たせた
>という逸話は広く知られている

↑「性公大徳譜」にもこのことが記されています。
さらに、忍性の歩けない重症患者に対する詳しい記録があります。
これについては、中村元氏の解説を引用します。

>>衣服を非人に施し、我は畳を着て、瓶の湯もて{病人の}膚を暖む。
北山の宿(ハンセン病院)に至っては現業を誡む。<<

着ているものは非人に与え、自分は衣服とはいえないようなものを着ていたのです。

ここで思い出されるのは、インドのカルカッタの街において、宗教の枠を越えて
あらゆる人々に分け隔てなく接し、とりわけハンセン氏病患者や路上に捨てられ
死を待つ老人などの救済にあたった、あのマザーテレサです。

忍性も700年以上の昔、日本の奈良で、このような仕事を実践していたのです。
ごく最近まで差別があったハンセン病ですが、この患者の救済に力を入れ、宿まで
提供していたというのだから、当時の人々から『現世の菩薩』と尊称されていた
理由がよく分ります。医学も発達せず、ハンセン病の原因もはっきりしなかった
当時を思えば、まさに命がけの行動でした。

山形大学、松尾剛次氏の著書
『救済の思想─叡尊教団と鎌倉新仏教』より、

>>叡尊・忍性らの教団こそは、(ハンセン病者の)救済に非常に大きな役割を
果たしたからである。より言うならば、叡尊・忍性らは、あのインドのスラム街の
人々を救いノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサに匹敵する存在だったの
である。<<

忍性は、仏教者として、いや人間として、貧困孤独苦悩の民衆に手を差し伸べず
にはいられなかったのだと思います。これは時代や場所に限定されない人間の
原点としての普遍思想ではないでしょうか。

忍性は、自らの生き方の規範とあるべき理想を
『十種誓願』(1272年作、仁和寺南勝院蔵)として書き込んでいます。

上述の『本朝高僧伝』に、時宗に忍性が日蓮の許しを乞うというくだり

(=日蓮)の 罪に陥るに及んで却って宥を平師(北条時宗)に乞う

がありますが、日蓮を意識していると思われるのが、8番の記述です。

 

1 能力に応じて、仏・法・僧の三宝を盛んにする。
2 毎日なすべき勤行・談義・出仕などを怠らない。
3 三衣一鉢は遊行の時にも必ず自らこれをもって行く。
4 病気でない限り輿や馬に乗らない。
5 特定の檀那の別請を受けない。
6 孤独な人々・貧しい人々・病人・盲人・跛者や路頭に捨てられた
牛馬にもあわれみをかける。
7 険しいところには道をつくり、橋をわたし、井戸を掘り、薬草・樹木
などを植える。
8 自分に害をなし、そしる人々をも善き友人と思い、人々を救うため
の方便として意義を認める。
9 点心を用いることなく、料理に手間をかけた食物をとらない。
10 以上の実行に、すぐれた点があるなら、自分のためにとどめることなく、
あまねく生きとし生けるものにほどこし、他人の罪を自分の身に受ける。

2010/7/900:00:14

極楽寺良観はkattkoiihitodaさんの仰有る通り、

聖僧の皮を被った鬼畜である。

巧みに時の為政者北条氏に取り入り、

非人に施粥する等のパフォーマンスを演出する裏で利権を握り、

坊主の枠を越えた政治活動に腐心した。

この良観の悪行を見抜き、厳しく糾弾された日蓮大聖人を怨み、

為政者に様々な讒言をして大聖人の御命を亡きものにしようとした、

五老僧と並び称される希代の極悪法師。

それが極楽寺忍性良観だ。

 

 

 

この程度の悪を見破ることができないようでは

 

日蓮仏法の実践者としては失格ですよ。

 

 

ハッキリ言っちゃいましょう

 

私の陰謀論が理解できないようでは

 

まだまだ修行が足りません。

 

 

 

 

 

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